剣道具師の思い出話「剣道具について 2」
剣道具は面、甲手(小手)、胴、垂の4点です。
私の育った剣道具店では当然4点を製作することになります。殊更そう申し上げる理由をお話します。
戦前の関東(主に東京)の剣道具屋には、2つの形態があったと親方から聞いていました。1つ目は私たちが営む形式です。
まず店舗を構えます。店舗内には一番の消耗品である竹刀、竹刀に係る附属品(先革、柄革など)、剣道衣(稽古着)、袴、剣道具を棚などに並べます。奥に我々が剣道具製作する作業場があります。
ただ商品を販売するだけであれば、奥の作業場は基本的には不要かも知れません。現代のコンビニエンスストアーのように、ひっきりなしに来店があれば店舗のみでよいのかも知れません。しかし、限られた需要のお客さんはそのようには多くありません。
それでは来客のない時間をどうするかということになります。その間は作業場で剣道具製作や、預った剣道具の修理をします。そして来客時には竹刀に付属品を装着する作業、お客様への商品の説明などで剣道具造りの手を止めることになります。無駄のない形態ではないかと思っています。
もう一つの形態は、店舗を充実させて販売を重要視していたようです。梅田という剣道具屋がその代表格です。販売のプロのような者が待機していて、来客に対し満足のいく対応をしていたと想像します。形式からして剣道具製作はその場ではしないので、大きな作業場はなかったといいます。
それではどのような所で剣道具を作っていたのかと思いますが、職人を普通の居宅に住まわせて、出来上がったものを店の者が回収する形だったようです。基本的に職人は、私共のように4点(面、甲手、胴、垂)は造らず 単品(面なら面だけ)を店からの作業指示で造っていたようです。
東京ではこの二通りの形式の剣道具屋があったのですが、それぞれ長短があったように思います。
我々、竹屋式の形態の場合、職人がお客様に直に対面して対応するため細かい希望や寸法が呑み込めます。但し接客中は手を止めますので、作業時間に負荷がかかり効率がよくありません。梅田のような形式ですと、接客、製作が別人であるため、職人はその都度手を止める必要がなく効率はよくなります。
竹屋式は剣道具の注文があった場合、そのお客さんの寸法を体感で理解します。面であれば顔の大きさ、その特徴、見切りの位置、布団の全長、幅、面金の寸法。甲手であれば当然手の大きさですが、長さ、幅、手の厚み、構えが中段か上段か等、その他まだまだ色々と目の付け処はたくさんあります。
梅田式では、たぶん店頭に立つ番頭さんが物差しなどを使って細かく採寸して、別の場所に住む職人に図解と言葉を交えてイメージが沸くように伝えたものと思われます。
私の親方が私によく言った文句です。
「俺たちは店で製品を作るから、どうしても専従の者と違って半端になる。だから頭を使え。造る数が少なくなる不利を、頭を使って(創意工夫?)剣道具造りをしろ」
「俺たちは職商人(しょくあきんど)だ。よ~く肝に銘じろ」
この言葉の意味は、職人としても商人としても一流になれということだと思っています。
しかしながら なかなか難しいと思っています。どちらも半端になってはいないか自問しています。